パチ 花百景の出来事2
もうかれこれ〇〇年以上前のことだが、忘れもしない。
花百景を専門に打つある男が存在した。
名前は今だに分からない。
故に我々はその男の名をこう呼んだ。
姓:エナ 名:ハイ 字:男
但し、直接姓+名で呼ぶのは失礼に当たりますので、Sとの間では彼のことをエナ男という呼び方が定着していた。世に多く存在するかの有名なモナ男と間違いそうな名前ではあるが、今回はモナ男ではない。エナ男だ。
翌日以降、私はエナ男と会う日が増えた。増えたというか、今までも会っており同じ空間で過ごしていたのであるが、私が気づいていなかっただけで意識するようになってからは毎日のように会っており、そのうち彼から話しかけてくることもあった。
エナ男「おう。今日はもう一人(S)は?」
小生「あ~。アイツはここでしか会わん奴やし~。」
エナ男「そうけ。ツレちゃうかったんけ?」
小生「うん。たまにコーヒーご馳走する程度の付き合いやねん。」
そんな感じで気さくに話しかけてくる人柄ではあったが、花百景桜ランプを見つける鋭い眼光と台確保の移動スピードは、歯肉を食らう猛獣のようであった。
私はエナ男氏にも花百景の止め打ちのやり方を教えてもらい、徐々に打ち方を学んでいった。
そして毎日毎日桜ランプを見つけてはハイエナをして、花百景を打ち続けた。
フィーバーパワフルⅢやたぬ吉くんやフィーバーレジェンドの存在を忘れて、まるで何かに取り憑かれたように打ち続けた。
お昼から閉店前まで出ない日もあったが、
花百景止め打ち対策でパチンコ屋に釘を閉められても、
やっと大当たり引いてたまに勝っても、時給換算10円とかでも、
懲りずに打った。
何も考えずに。。。
ただひたすらと。。。。
そして2年の歳月が流れた。
私は花百景のせいで大学を留年した。
授業料がべらぼうに高い私立大学をだ。
両親に叱られた。
同期の友人たちも去っていった。
だが、2年経過してもSは居た。
エナ男も居る。
Sからは、定期的に2千円づつへ返済してもらって、残金は4千円まで減っていた。
そのころには、パチンコ台の顔ぶれも様変わりしていてCR機が登場していた。
時代の流れは早いものだ。
パチンコも商売も人付き合いもお金の使い方も時代に合わせて、臨機応変に対応しないと時代に取り残されてしまうスピードの変革の入口の時代であった。
当時はまだ年功序列とか言われ大きな会社に就職すれば安泰の時代であったが、この頃からその風潮が少しづつ崩れ出した。
大学生がパチンコ漬けで学校に行かず単位を取得できず、留年する1番悪い見本のパターンになってしまった。これは、パチンコが悪いんではない。花百景の桜ランプも悪くはない。自分の意思が弱いのだ。このような経験を繰り返しながら私、S,エナ男は更にどっぷりとパチンコにのめり込んでいくのであった。